「ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー」で特殊効果を担当したバルディミール・ヨハンソンの長編監督デビュー作。
主演・制作総指揮を務めるのは「プロメテウス」「ミレニアム」シリーズでおなじみのナオミ・ラパス。
第74回カンヌ国際映祭のある視点部門で【Prize of Originality】を受賞、アカデミー賞®国際長編部門アイスランド代表作品にも選出されるなど批評家からも高い評価を受けた本作。
『ぼくのエリ 200歳の少女』『ボーダー 二つの世界』など北欧映画らしく、淡々と進むストーリーの中でかなり異常なことが起こっているのがとても不気味な作品です。
『LAMB ラム』作品概要
公開日(日本):2022年9月23日
監督:バルディミール・ヨハンソン
キャスト:
マリア(ナオミ・ラパス)
イングヴァル(ヒナミル・スナイル・グブズナソン)
ぺ―トゥル(ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン)
(イングバール・E・シーグルズソン)
『LAMB ラム』視聴方法
アマゾンプライムの会員であれば、追加料金が必要なく視聴することが可能です。
『LAMB ラム』あらすじと考察
アイスランドの人里離れた山間――
マリアとイングヴァル夫婦は羊飼いとして暮らしています。
クリスマスの晩、羊小屋に“なにか”がうめき声をあげながらやってきます。
――春になると出産ラッシュで、次々と子羊が誕生します。
次々と生まれる子羊の中から、「羊でも人間でもない何か」が誕生します。
夫婦は亡くなってしまった娘の「アダ」のベッドを納屋から引っ張り出し、夫婦の寝室で一緒に寝ることにします。
名前も亡くなった娘と同様に「アダ」と名付けました。
羊小屋に“なにか”が来るときも、夫婦が娘を亡くしてしまっているということも特に説明がないまま物語は淡々と進んでいきます。
観る人にとってはとても不親切だと思う人もいるかもしれません。
しかしこの演出は、夫婦の日常に起こっていることの一つなんだと、妙にリアリティが感じさせられます。
北欧映画は『ぼくのエリ 200歳の少女』『ボーダー 二つの世界』など、「物語は淡々と進むのに結構大変な出来事が起こっている!」という映画が多くみられます。
これは生活と常に隣り合わせにある北欧民話が影響しているのかもしれません。
しばらくすると、「アダ」を産んだ母羊が夫婦の家にやってきて、昼夜を問わず鳴くようになります。
まるで自分の子供を返せと言っているようです。
痺れを切らしたマリアは、銃で母羊を殺してしまいます。
その様子をイングヴァルの弟で金銭トラブルでこの家に逃げ込んできたぺートゥルが見ていました。
ぺートゥルはアダを見るや驚愕します。
アダは体は完全に人間ですが、顔だけが羊の二本足で立つ子供でした。
イングヴァルは、これは私たち夫婦の幸せの形だから口出しをするなと忠告します。
イングヴァルは最初こそアダをからかったり殺そうともしましたが、次第にアダをかわいがり、普通の叔父と姪のような関係になっていきます。
ぺートゥルは一見何のために登場したのかよくわかりませんが、非常に重要な役割を担っています。
ぺートゥルが登場することによって、アダの存在が「夫婦だけが見ている幻想ではない」ということが証明されるのです。
そしてこの映画ではぺートゥルだけが、観客が抱く「それ、人間じゃないから!」「それ育てたら最終的にろくな事起こらないやつだから!」という感情を代弁してくれます。
しかし、ぺートゥルもすぐにアダを普通にかわいがるようになってしまいます。
ただ、ぺートゥルがアダをかわいがってるころには、観客もアダに夢中になっています。
それくらいアダの顔やしぐさはかわいく、綿密に計算された動きになっています。
「ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー」で特殊効果を担当したというバルディミール・ヨハンソン監督の手腕が見事に発揮されています。
ぺートゥルはマリアが母羊を殺したことをダシに、マリアに言い寄るようになります。
マリアは拒絶し、強制的にぺートゥルを追い出してしまいます。
一方で、イングヴァルとアダは壊れたトラクターを直しに向かいます。
その帰り道――
体は大人の人間で顔が大人の羊(ラムマン)がイングヴァルの前に立ちはだかります。
ラムマンは銃でイングヴァルを撃ち殺すと、アダを連れてどこかへ行ってしまいます。
倒れたイングヴァルを見つけたマリアは泣き叫び映画は終了します。
ラストシーンでマリアは何を想うのか?
本作では基本的に物語が淡々と進むため、マリアやイングヴァルがに何を考えているのかわかりづらく、逆にそれを考えるのが面白い映画だとも言えます。
さらに子供を幼くして亡くすという経験をこの夫婦がしてる以上、それを考えるのがさらに難しくなってきます。
ラストシーンで亡くなったイングヴァルを発見したマリアの表情は「復讐」「怒り」といった表情に見えます。
しかし、次のシーンでは霧にかかった山々を背景にマリアがアップで映し出されると、マリアは何とも複雑な表情をしています。
マリアはラムマンの存在を知っているのか?
マリアがラムマンの存在を知っているのであれば、アダが本来の親の元に帰ったわけですから、復讐というのは筋が違うし、母羊を殺してしまったという後悔の表情にも思えます。
しかし、マリアがラムマンの存在をしる描写は出てきていません。
そうなると、「私はまた愛する娘をなくしてしまった。」「異形の子供を育ててしまったから夫まで失くしてしまった。」という感情が自然に思えてきます。