『熊は、いない』あらすじと考察(ネタバレあり)

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政府から映画制作と出国を禁じられながらも不屈の精神で映画を撮り続けるイランの名匠“ジャファル・パナヒ”監督。

パナヒ監督はトルコで偽造パスポートを使って国外逃亡しようとしている若い男女を主人公にしたドキュメンタリードラマ映画を、イランの国境近くの小さな村からリモート指示で撮影している。

滞在先の村では古い掟のせいで愛し合うことが許されない恋人たちをめぐるトラブルが大事件へと発展し、パナヒ監督も巻き込まれていく。

なぜフィクションとンノンフィクションをごちゃまぜにするのか。熊とは何を表しているのか。あらすじとともに書いていければと思います。



『熊は、いない』作品概要

【予告編】映画『熊は、いない』2023.9.15(金)より全国順次公開
自国イランでは上映禁止! 政府に映画制作を禁じられた、《闘う映画監督》ジャファル・パナヒの最新作監督・脚本・製作:ジャファル・パナヒ撮影:アミン・ジャファリ「白い牛のバラッド」編集:アミル・エトミナーン「ザ・ホーム 父が死んだ」 出演:ジャ...

公開日(日本):2023年9月15日

監督:ジャファル・パナヒ

キャスト
ジャファル・パナヒ(ジャファル・パナヒ)
村長(ナセル・ハシェミ
)
ガンバル(ヴァヒド・モバセリ
)
バクティアール(バクティアール・パンジェイ)
ザラ(ミナ・カヴァニ)
ガンバルの母(ナルジェス・デララム)
レザ(レザ・ヘイダリ)
ヤグーブ(ジャワド・シヤヒ)
ヤグーブの叔父(ユセフ・ソレイマニ)
ソルデューズ(アミル・ダワリ)

ゴザル(ダリヤ・アレイ)
シナン(シナン・ユスフオグル)



403 Forbidden

『熊は、いない』あらすじと考察

政府から禁じられながらの映画撮影

イラン政府から映画製作を禁じられながらも、極秘でドキュメンタリードラマの撮影を進める”ジャファル・パナヒ“監督。

撮影地はトルコだがイラン国内から出ることも禁じられているため、国境付近の小さな村に宿泊しながらリモートで現場に指示を出している。

撮影するのは政府からの拷問や虐待から逃れるため、偽装パスポートを作ってフランスへの逃亡を企てるカップルの”ザラ”と”バクティアール”。

密航業者を頼りに偽装パスポートを作ろうとするも、ザラの分しか作ることができず、バクティアールはザラだけでも逃がそうとするが、ザラは「それではこれまで2人で生きてきた意味がない」と拒否する。

監督の宿泊する村ではWiFiが不安定で、リモートがうまくいかず、助監督の”レザ”がトルコから監督の元へやってくる。

レザは監督がいないと撮影現場がうまくまわらないので密航業者を頼りにトルコまで来てほしいとお願いし国境付近まで行くが、監督は出国を拒否する。

“ジャファル・パナヒ”監督の現実でおかれた状況

本作の監督であるジャファル・パナヒは、ジャファル・パナヒ役として出演しています。

イランから出国できないという設定ですが、現実でも映画製作とイランからの出国が政府から禁止されているのです。

2009年、野党支持運動「グリーン・ムーブメント」を題材にした映画を撮影中、パナヒ監督は逮捕され、6年の実刑と20年の映画製作・海外渡航・インタビュー出演の禁止が政府から言い渡されます。

その後釈放されるものの、禁止事項は変わっていません。

パナヒ監督は極秘で映画製作を続け、本作は第79回ヴェネチア国際映画祭審査特別賞を受賞していますが、イランでの上映は禁止のうえ、監督は本作の完成後に逮捕されています。

村の風習【へその緒の契り】

監督が国境付近から村に帰ると、村の女性”ゴザル”がボーイフレンドの”ソルデューズ”との2ショット写真を撮っていたら、絶対に公表しないでほしいと懇願してくる。

翌日、3人の村人が監督の元を訪れ、ゴザルとソルデューズの2ショット写真を見せるように詰めかける。

この村では女の子は生まれたときに夫が決まり、へその緒を切るという風習があり、ゴザルの夫は”ヤグーブ”と決まっていたのだ。

しかしゴザルは、ソルデューズと密かに恋人関係にあり、ヤグーブたちはゴザルを問い詰めるため証拠となる写真が欲しいのだ。

監督はそんな写真は無いと3人を追い返す。

その夜、ソルデューズが監督の部屋を訪れ、ゴザルと1週間後に駆け落ちすると言う。

フィクションとノンフィクションの二重構造

映画の中で国外逃亡を企てるカップルを追ったドキュメンタリーを撮っているパナヒ監督ですが、もちろん映画の中の話であり、ザラとバクティアールを演じる俳優が実際に国外逃亡しようとしているわけではありません。

しかし、パナヒ監督が現実でおかれた状況は映画の中での設定と同じものであり、何がフィクションで何がノンフィクションかわからなくなってきます。

これに似た二重構造の映画に『オリーブの林を抜けて』(1994年)がありますが、パナヒ監督はこの映画の助監督を務めていました。

フィクションとノンフィクションの混沌はパナヒ監督の狙いであり、大きな(政府の)ルールであろうと小さな(村の風習のような)ルールであろうと、現代社会とは全くあっていないルールが現実社会で人々を苦しめているというメッセージが込められています。

村長やガンバルがある種トラブルメイカーであるパナヒ監督のことをもてなし続けるのは、イスラームでは客人をもてなすことは来世で報酬を得ることができる善行とされているためです。

日本人から観ると「はやく追い出せばいいのに」と思ってしまいますが、ルールに縛られたゆえの面白さとして描かれています。

村の風習【神の前での誓い】

いくら「写真は存在しない」と説明してもわかってくれない村人たちに、監督はついに怒り、村で撮った写真が入ったデータを全て見せる。

それでも村人たちは納得せず、コーランの前で誓うように求めてくる。

誓いに向かう道中、ある村人が「その道は熊が出るから一緒に行こう」と監督をお茶に招待する。その村人は「コーランの前で誓いさえすれば嘘でも村人は納得してくれる」と監督に教えてくれる。

誓いの場で監督が「古い風習に困惑している」と正直に言うとヤグーブは侮辱だと言い、怒って出て行ってしまう。

一方で撮影チームはバクティアールの偽装パスポートは手に入らなかったものの、撮影スタッフが用意した偽装パスポートを使い、ザラに嘘をつき、2人で逃亡する様子を撮影しようとする。

しかしその嘘はザラにバレてしまい、ザラはどこかへ行方をくらませてしまう。

イランの現状が行く着く先とは

  翌日、宿を用意しそれまで監督の世話をしてくれていた”ガンバル”が、これ以上面倒を見ることができないと監督を宿から追い出してしまう。

村から出る道中、河原に村人たちが集まり何か悲しみながら叫んでいる。

ゴザルとソルデューズが駆け落ちするため国境を越えようとして国境警察に撃たれて亡くなったのだ。

レザとバクティアールと合流した監督はザラを探しに向かう。ザラは出国出来ないことを苦に、過去に2度自殺未遂をしていたのだ。

港でイラン人の水死体が見つかったと一報が入り、港に向かう一行。

バクティアールはその水死体がザラだと確認し、悲しみに暮れるのだった。

熊とは何なのか?

本作に熊は出てきません。では熊とは何をあらわしているのでしょうか?

それはイラン政府であり、国境警察であり、現代社会にあっていないルールではないでしょうか。

パナヒ監督をお茶に誘った村人のように、良くも悪くもルールに順応できる人は「本当は熊なんていない」「誓いなんて形だけで嘘でも良い」と言います。

しかし実際には熊はいて、ゴザルとソルデューズは国境警察に殺されてしまい、ザラは政府に追い込まれ自殺してしまいました。

ちなみにパナヒ監督はゴザルとソルデューズの写真を撮っていたのではないでしょうか。村人たちに差し出したカメラは1台でしたがパナヒ監督はカメラを2台持っていました。

間違ったルールには従わないというパナヒ監督の姿勢の表れなのだと思います。



 

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